VATE:しかし安藤さんですよね。
もちろん安藤さんに対してこんな空間にして欲しい、なんてなかなか言える訳はないんですが、限りなくそれに近い状態で地中美術館は進みました。だから、まず空間のサイズとか、この作品展示にはこれぐらいのスペースが必要とかということから始まっているんですよ。
それをきれいに安藤さん的に収まるように設計してもらってるし、組み合わせも含めてずっとやりとりをしてきましたよね。
VATE:それが出来たのはすごいことですね。
直島では80年代の後半くらいから安藤さんと関わって長いですから。私も15年くらいのやりとりをさせてもらってきたので、信用してくれたんじゃないですかね。はじめての人間が言っても、なに言ってんだっていう世界だと思うんです(笑)。本当によく聞いてくれたと思うんですよね、今から考えると。
VATE:信頼関係が出来ていたんでしょうか。
そうですね。うるさくいうので、大変だったと思うんですけど、意外と付き合ってくれたんですよ。作家のわがままにというか、いろんな要望によく相手をしてくれたと思います。
VATE:話は直島に戻りますが、直島には安藤さんが新築された「南寺」というのがありますよね。
その中にジェームズ・タレルのインスタレーション作品『バックサイド・オブ・ザ・ムーン』がありますが、
あれは秋元さんがここに寺を造ってみたらおもしろい、とお考えになったわけですか?
あれは、いろんな条件の中であそこにいっちゃったという感じです。もともと私はジェームズ・タレルというアーティストに直島で何か記念碑的な作品を作って欲しいと思っていたんですよね。実際に90年代はじめにはジェームズ・タレルに来てもらって、直島の南側一帯を歩いてもらったりしたんですよ。その中でプランを作ってもらったりしてたんですが、あまりにもスケールが大きくて(笑)。
VATE:クレーター作ってる人ですもんね(笑)。
当時のベネッセではお金が出せるようなスケールではなかったんです。でも、じゃあジェームズ・タレルという作家をやめちゃおう、となるのは、僕にはとても勿体ない事のように思えたんです。
VATE:それでどうされたんでしょうか?
それで手に入りやすいものを探しました。やっぱり持っていた方がいいと思っていて。あまり時期が過ぎて、どんどん有名になっちゃうと値段もあがるので出来るだけコンパクトでもいいから、とにかく買えるものがあったら買った方がいいんじゃないかとは思っていたんですよね。