SANAA:海の駅 なおしま
撮影:渡邊修
ベネッセアートサイト直島

「美術の違う側面が見えた」

VATE:なるほど。

 

最初にキャンプ場を作るんですが、その後に美術館と10室くらいの宿泊施設を作ろう、という事になったんですね。その頃に建築家の安藤忠雄さんが関わり始めて、安藤さんが設計した美術館とホテルの複合施設を作りましょう、みたいなものが80年代の後半から計画されていくわけです。

 

VATE:秋元さんが入られたのはどんな時期だったんですか。

 

工事もはじまっていて、1年後に美術館がオープンするという時期でしたね。

 

VATE:1年後ですか!体制は大丈夫だったんでしょうか。

 

ベネッセからすると、このプロジェクトっていうのはメセナ事業ですよね。完全に文化的、地域貢献的な事業なので、会社の中にあっては本当にささやかな脇の仕事なわけですよ。そういうところからはじまっているので、体制そのものは本当に数人みたいなレベルでしたね。

 

VATE:それで動いていくものなんでしょうか。

 

やっぱり安藤忠雄さん等、強力な人が動かしているので、社内では意識が育ってなくても出来ちゃうところもあるんですよね。オーナー企業なのでトップの意向というのも非常に強かったんです。トップの福武さんの強い思いがあると、現場が綺麗に整備されてなくても走ってしまうところはありますよね。

 

VATE:秋元さんにとってはこのプロジェクトに関わることになり、

美術の近くに戻れたという感じだったんですか。

 

それもありますが、それまでとは全く違う視点で美術を見ることになりましたよね。それまで私は美術界の中にいたわけなんです、内側に。ところが、会社組織の中に入ると美術の違う側面が見えてきました。

 

VATE:それはどういうものですか。

 

会社にとってみると、一枚の絵って資産じゃないですか。これが100万円なのか300万円なのか。値上がりしているのか、落ちているのか。一番最優先されるのは、資産としての価値なわけです。

 

VATE:ええ。

 

それと同時に、ある種の公共財産でもあるので、文化資産として守らないといけない側面もあるんですね。そういう社会の中での美術、みたいな側面が見えてきたんです。そして、そのことは私にとって居心地の悪いことでもありました。

 

VATE:居心地の悪さとは?

 

作品というのは作家の表現物なわけですよね。非常に精神的な産物なんです。それを物として、ましてやお金に換算していくような社会の中で、価値を相対化していくわけじゃないですか。そのような相対的な価値観の中に作品を置くという事が、最初はすごく居心地が悪かったですね。