ベネッセハウス オーバル
撮影:大橋富夫
ベネッセアートサイト直島

VATE:アルバイトをしながら制作を続けるというのはどれくらい続いたんですか?

 

大学を出てから30歳ぐらいまでやってましたね。

 

VATE:かなり長い期間ですね。不安にはなりませんでしたか。

 

だんだん食えなくなってくるし、年もとってくるし、いくら夢を見ていても、少しずつ現実が見えてくるところもあるんですよね。なので20代後半くらいから雑誌の編集をやってみたり、記事を書いてみたり、フリーのライターをやりはじめたんです。

 

VATE:作品をつくりながら、ライターの仕事をはじめられたんですね。

 

ええ。ただライターの仕事って片手間ではできないので、だんだんライターの方に重点がおかれるようになっていきました。

 

VATE:ライターの仕事をはじめられて如何でしたか?

 

ライターの仕事をすることで、初めて人と一緒に仕事をするということの面白さに気付きました。求められることに対してある成果を出していくっていう事のおもしろさ、ですね。

 

VATE:それまでは一人の世界ですよね。

 

そうですね。作品は求められて作るというのではなくて、自分のためにつくっているわけなんですよね。言ってみれば、独り言の延長みたいなものなんです。あとはそれを面白いと思う人が出てくるか、そうじゃないかという世界ですから。

 

VATE:一人の世界からある種の共同体の中に入っていったと。

 

様々な人が関わり、全体の方針の中で記事を書いたり、人と考え方を共有し自分もある一部になって、持てる力を振り絞って成果を出していくという世界ですね。その事の面白さを初めて感じましたね。この経験が後の仕事を選ぶ時にすごく大きい影響力を持っていったと思います。

 

VATE:雑誌の現場というものは、どんなものでしたか?

 

教えてくれた人が厳しかったんです。400字くらいの小さな記事でも何度も書き直しをさせられました。

 

VATE:なにが問題だったんでしょう。

 

それまでは、自分の表現として何もかもつくっていたので、良いも悪いも我が強いわけですよね。