VATE:わからないものを受け入れられるものですか?
作家があの場所で作っているので、その姿を見ているわけなんですよね。これだけこの人たちが一生懸命やってたり、悩んだり、笑ったり泣いたりしてるわけじゃないですか。アーティストって人間的な部分も出しちゃうので、そういうのはわかりますよね。「ずいぶん苦しんでるんだな」とかね。
自分の家の横でやってたりするわけなので、そういう事がアーティストを信用する土台になっていったんじゃないかと思います。
VATE:草間彌生さんのカボチャも直島で制作されたんですか?
あれは作ったものを持ってきたんですが、でも作るにあたっては「ああでもない、こうでもない」ってあの場所でやってたりするんですよ。
VATE:直島では「家プロジェクト」というものがありますが、
これはいつ頃からはじめられたものですか?
家プロジェクトは96年から準備をはじめて、一軒目が出来るのが98年だったと思います。
その後、地中美術館を作りはじめて、オープンした後の2006年には、また家プロジェクトを3軒増やしました。
VATE:「コミッションワーク」で作家を直島に呼んでくる、
というのは秋元さんが考えられたんですか?
そうですね。直島にはこういう人がいいんじゃないかっていう風に上層部にプレゼンテーションしました。もちろん気に入ってもらえる物もあれば、そうでない物もありました。
ただ、その中でどうしても諦められない、直島にとって必要だと思うものについては、時間をおいて再プレゼンしたりしながら、少しずつ作家を増やしていきました。
VATE:まるで直島は全体として秋元さんの作品のようですね。
もちろん私一人でそこまでやったわけではないですよ。ただ、なかなかやれる仕事じゃないということだけは確かですね。
VATE:直島には「地中美術館」という美術館がありますが、
これはどういった経緯で作られたんですか?
ベネッセハウスだけでは、ボリュームのある施設が足りないという想いがずっとあって、別館構想というのが95年くらいからあったんです。もう少し南側にボリュームをつけようということで、いくつかのプランを福武さんや安藤さんなんかが話してたわけなんですよね。ただ、決め手がなくて、うまく進まなかったんです。
VATE:なにかうまく進むきっかけがあったんでしょうか。
福武さんはモネの睡蓮が好きで集めてたんですけど、その中でも一番ビッグサイズの2m×6mのモネがうまくしたら手に入るかもしれない、という話が持ち上がったんです。
モネの睡蓮を軸にして今までずっと決まらなかった別館構想を展開できないだろうか、と。