草間彌生:南瓜
撮影:安斎重男
ベネッセアートサイト直島

VATE:実際オープンしてからは如何でしたか?

華々しいオープンで千客万来だったんでしょうか。

 

1992年7月の中旬にオープンするんですが、それから翌年の3月末までに来場したお客さんって1万人にも満たなかったんですよね。そんなオープンでした。美術館にいたっては、平日にお客さんがいたら大したもんで(笑)、土日でも50~60人。

 

VATE:ずいぶんと少ないですね。

 

そりゃまずいと思いましたよね(笑)。まず経営的に全く成り立たないじゃないですか。いくらメセナ事業でマイナスは覚悟しているとは言っても、想定以上のマイナスだったんで、そりゃまずいですよね。赤字部門といっても、あまりにもひどいっていうか。

 

VATE:でもオープン時は話題になったのではないですか?

 

オープニングではご祝儀的な取り上げられ方はありました。安藤さんが設計してるし、三宅一生さんの展覧会がオープニングだったので。

でもその後はもう、どうしていいかわかんなかったですよね(笑)。

 

VATE:そもそもなぜあそこの場所に作ったんだ、っていう話ですよね。

 

そうですねぇ~。

何もなかったですからねぇ(笑)。

 

VATE:その後のお話を聞かせて下さい。

 

オープンしたのはいいけど、やはり会社の中でも落ち着きが悪かったんです。

トップの福武さんはご自分の強い想いがあるわけでリアリティがあると思うんですよね。でも会社の中ではなかなか収まりが悪いわけですよ。メセナって言ったってここまで赤字出してやることなのか、とかですね。「なんで現代美術なんだ?」とか、「進研ゼミとどこが関係してるんだ」とかですね(笑)。

 

VATE:なるほど。

 

現場でも「ホテルと美術館の複合施設」という風に言うのはいいんだけど、あれは美術館的ホテルなのか、泊まることもできる美術館なのか、どっちなんだっていう問題がありました。

 

VATE:どっちなんですか?

 

理念的には両方なんです。美術館の中に泊まる、ホテル的な美術館だ、と。言葉ではいえますよね。ところが現実に現場ではオペレーションをしないといけない。ホテル的オペレーションと、美術館的オペレーションって全く違うわけですよね。そうすると現場ではすごく困るわけです。なので、当初はすごく苦労しましたね。

 

VATE:お客さんが来ない、というような状況の中でどうされていきましたか?

 

そういう中でも、美術の場として良い仕事を残したいという想いは強かったので、根気強く美術館的な、良い作品が残っていくような仕組みを模索していました。

展覧会、ワークショップ、イベントといろいろなことを試してみました。

 

VATE:その中でなにかが見つかっていったんでしょうか。

 

一番直島らしくていいなぁ、と思ったのが「コミッションワーク」という、作家に依頼して直島でしか見ることのできない作品を作ってもらうという方向だったんです。