VATE:秋元さんの周りもそういう人たちが集まっていたんですか?
油絵科という科自体が、浮世離れしてるヤツが多くて(笑)。あんまり現実的に将来を考えている人はいなかったんじゃないかな。
VATE:秋元さん自身も浮世離れしてた、と?
「浮世離れ」度に関しては、けっこうひどかったんじゃないですかね(笑)。ほとんど現実を見てないというか。そもそも適応しようと思ってなかったのかもしれないですね。
VATE:現実的に将来を考えていなかった、というわけですか?
ただ社会に自分を合わせよう、という面で苦しんだ記憶があるので、ちょっとは考えていたかもしれないです。
ですが、自分が社会に合わせていくというよりも、自分がやっていることを何故わかってもらえないんだろう、みたいな想いの方が強かったですね。
VATE:じれったい想いが強かったんですね。
すごくじれったかったし、機嫌が悪かったですね、20代は。
自分としては信じていることをやっているんだけど、全然うまくいかないという感じです。
VATE:大学を卒業されてからは、どういったことを?
作家になるつもりでいたので、アルバイトをしながら制作を続け、機会があれば展覧会で発表していました。
VATE:その当時はどういった作品を作られていたんですか?
人にまつわるものを作ってました。例えばフェイスシリーズというのは、人の顔が画面いっぱいに描かれたもの。あとは人間に限らず、生物とか有機体のもっているフォルムみたいなものを描いていたり。だんだん形がなくなってきちゃって、最後はパフォーマンスとかで粘土と格闘したりしてましたねぇ(笑)。
VATE:その当時の評価というのはどうだったんですか?
どんなことをしていても、何人かの人っていうのは興味を持ってもらえますよね。
でもそれはほとんど身内であって、第三者で僕がやっていたことをちゃんとみてくれていた人っていないと思いますね。
VATE:あまり評価はしてもらえなかった、と。
時折、公立の美術館から声がかかって展覧会をやってみたりしましたけど、基本的には評価されるみたいなことはなかったです。まぁ、そんなもんだと思うんですけどね、美術って自分の問題ですから。
VATE:当時の環境として現代アートを理解する人が少なかったという事でしょうか?
70年代後半ぐらいなので、現代美術を取り囲む環境が今と違ったのは確かですね。