ベネッセハウス オーバル
撮影:渡邊修
ベネッセアートサイト直島

VATE:ええ。

 

ですが、雑誌の400字くらいの記事に、我なんか出されたって困るわけじゃないですか(笑)。

例えばコップについて書く時に、このコップの何が他のコップと違うのか、何が特徴なのか、とモノを観察することが必要になりますよね。どう感じたか、というよりも、まずどんな風にできているのかが重要なわけで、そういう基本的なことを学び直した、みたいなところがあります。

 

VATE:なるほど。

 

自分を表現することより、お題になっているものがどんな物なのかを丁寧に見て、それをどう伝えようとするか。そういう事を教わっているように感じましたね。自分が求められている事が全体の中でどういった役割なのか、何を期待されているのか、そういう事をも学び直した時期じゃないですかね。それまでとは大きく変わっていった時期でした。

 

VATE:秋元さんの中で何かが変わっていった時期なんですね。

 

組み替えた、というのが正しいかもしれません。

 

VATE:その後ライターを5年ほど続けられるわけですが、やめられたのはなぜですか?

 

美術の現場にもう少し近いところで仕事がしたい、という想いが強くなったからでしょうね。

 

VATE:ですが、年齢的には35歳くらい。

そこから新しいことをはじめるとなると、なかなか大変なのでは?

 

私、遅いんですよ。20代とかひどかったですから(笑)。戻りたくないですからね、若いころには(笑)。

 

VATE:(笑)。その後どうされたんでしょうか。

 

そんなことを考えている時に、ベネッセが学芸員を募集していることを知ったんです。瀬戸内海の直島という小さな島で美術館を作る、と。それで専門家が必要だという話だったんですね。なんとなく夢があって面白そうだなぁと思いまして。落ちるかも知れないけど、あとで後悔するよりは応募してみようと思ったんですね。

 

VATE:そして見事採用されるわけですね。

 

そうなんですよ。これは本当に運がよかったんだと思います。応募された他の美術館の学芸員さんが落ちたりしてるわけで、かつ採用は私1人だったんですよ。私、時折運が良いんですよ(笑)。