人を育てることは、未来を育てること。教育に関わられている人は一体どんな視点をお持ちなのか、今回は隠岐の島(島根県)にある海士町という小さな町の「隠岐國学習センター」で一貫したご自身の信念をもとに所長を務められている豊田さんにお話をうかがいました。
VATE:豊田さんは将来の職業を意識されたのはいつ頃ですか?
後から思い返せばということですが、やはり自分の故郷の状態が、職業や仕事を考えるのに影響を与えていたかなと思ってます。
VATE:故郷の状況といいますと。
僕の故郷は九州の大牟田というところで、福岡県の一番南なんです。炭鉱の町で最盛期には22〜23万人くらいだった人口が、今では12〜13万人くらいでしょうか。時代の流れで閉山になり、町がみるみる駄目になっていくというのを目の当たりにしたんですね。
VATE:ええ。
商店街もシャッター街になり、そんな中で自分の故郷を元気にしたいという想いが強くなり、そのためにはどんな方法論で元気にするのか、人生の分岐点で何かしら選択していた事というのが今につながっていると思いますね。
VATE:大牟田を出られたのは、いつですか?
高校卒業のタイミングです。そこから広島の大学に4年間通って就職で東京に行きました。
VATE:学生時代は具体的になりたい職業というのがあったんですか?
小さい頃は学校の先生になりたかったんですね。
VATE:教育者になりたかったと。
教育というよりは、人にわかりやすく何かを教えるという事でしょうか。僕、中学生の頃に先生から褒められたことが1つだけあって。
VATE:それはどんなことですか?
不良の子たちに勉強を教えて、その子たちが4〜5クラスある学年の中でトップテンに入ったんですよ。
VATE:それはすごいですね。先生は何と?
頭が良い生徒は過去に沢山いたけど、クラスの平均点を上げられるヤツはなかなかいないと(笑)。