VATE:しかしメーカーからすると抵抗もあるのでは?
なので保険はかけるという意味でプロパーも当然作り、リミックスで他に流すという、当時はそういうビジネススキームだったんですね。
VATE:抜け目ないですね。
その時の重役がものすごく感激してくれたんです。なんか本音で語ってくれて。それぐらいインパクトがあったみたいなんですよ。
VATE:でも当然社内では軋轢があったんでしょうね。
そうですね。やっと進行することになった時も今度は工場が作りたくないと言い出したんです。生産ラインも決まっていて、薄利多売なのにそんなもの作れるかと(笑)。
VATE:いろいろありますね。それでどうされましたか?
僕が工場に乗り込みました。行っても電気消えてるし、弁当も出してくれないような感じでしたね(笑)。
VATE:工場側は納得してくれました?
最初は東京から先生がお見えになってるようですけど?みたいな感じでしたけど、2〜3時間後には納得してもらいました(笑)。
VATE:販売に関しても、大変だったのではないですか。
そうですね。当時は家電をこのような形でデザインする意味や背景を伝える必要がありましたし、理解を得ることにも努力が必要だったんです。なので僕自身も販売説明会に出ていました。販路も家電量販店ではなく、インテリアを扱うセレクトショップだったりするわけで、それがなぜ世の中に必要なのか、という事も説明しないといけない。熊本氏はその想いを全国を回って伝え、説得し、取り扱いを増やしていってもらったんです。その中でユナイテッドアローズの重松会長やFrancFrancの高島社長にも応援して頂いたんですね。どちらも多くのショップをお持ちだったので、それも理解を得る上で力になりました。
VATE:デザインの意味や背景までも説く必要があったんですね。
それだけではなく、アテハカは海外からデビューすべきだと思っていたんですね。当時たまたまHOTEL CLASKAのデザインをやった後でWallpaperの取材がうちに来てたんですよ。偶然モック撮影の日だったので、それを見せたらぜひ一番に載せたいと言ってくれて。それで2ヶ月に渡ってうちとアテハカの特集でぶち抜き10ページくらいになったんですね。
VATE:海外から一気に露出したんですね。
そうですね。それがきっかけで日本の雑誌にも広がって、けっこう露出していきました。結果としては必然なんですけど、これまでのそういう想いが引き寄せたというのはありますよね。