意志が貫かれたデザインは、それに触れる人を覚醒させる力を持っています。amadanaやHOTEL CLASKAをはじめ家電からインテリア、建築まで様々なものづくりを一貫したコンセプトで世に送り出しているインテンショナリーズ代表 鄭秀和さんに、今に至るまで、そしてクリエイティブの源泉となるものについてお話をおうかがいしました。
VATE:鄭さんが将来の職業を意識しはじめたのはいつくらいですか?
子供の頃からいつかは自営をするんじゃないかなと、漠然と思ってました。
VATE:いきなり自営ですか。
在日韓国人として生まれて、もともと「きりもと」君だったんですよ、小学校1年生まで。東京から横浜に引っ越す時にいきなり名前が変わって。出世魚の感じ?
VATE:出世魚って(笑)。
親の教育もオリジナリティを持てというのがすごく強かったんです。だからというのもあるかも知れません。
VATE:その影響が大きかったんですね。
なんとなく、こびりついてましたね。常にオリジナリティでいくぜ!みたいな。
VATE:小さい頃は何か習い事とかされてました?
両極端なんですけどね。体育会系でありながら、文化系も好きで。サッカー少年だけど絵も習ってるみたいな。小学校3年生の時に最も影響を受けたのはロバート・ラウシェンバーグでしたね。
VATE:勉強なんかもちゃんとしていたんですか?
してましたよ。やんちゃな事もしてたけど常に両極端なバランスを取り続けながら、高校は進学校みたいな公立学校に行くわけですよ。
VATE:アートにのめり込んでいくという事は無かった?
高校に入ってみると、決まり切った型みたいなのが見えてきたんですね。ゆくゆくは受験して一浪して早慶行けたらいいか、東大は無理だろうみたいな(笑)。それでつまんなくなって、一気にアートにのめり込んでいったのかな。
VATE:息苦しかったんですね。
受験の先にじゃぁ何があるの?っていうことに明快な答えがないまま、とりあえずみたいなね。