VATE:でも福本さんは東京で仕事も軌道に乗ってきたところだし、
そこにいれば、それはそれで収入も上がっていくだろうし、
大きいプロジェクトにももっと関われるし、いいんじゃないですか?
確かにね。ちょうど次のショッピングセンターの物件の話があったんですけど、でももうショッピングセンターはやる気はなかったです。物件が大きいから良いってわけじゃないんですよ。収入なんか増えても期待はできなかったですしね。
VATE:そうなんですか。それだけ大きいプロジェクトだと収入も多そうなんですが。
いえいえ。6年経験のある主任でさえ手取り20万ジャスト程なんです。僕は1年目で手取り10万、2年目で13万です。家賃は都内だったんで、ボロアパートの6畳ワンルームでさえ6万。昼飯は安くても800円はかかるんで、1年目は親に仕送りしてもらいながら仕事してました。
VATE:うわー。それは厳しいですね。
3年目でいくらもらえるのかなんて聞く気もしないですよ(笑)。低賃金で重労働が普通の建築の世界です。でも中には若い世代の建築家設計事務所でめちゃくちゃ儲かってる方もいらっしゃいます。
VATE:まぁ収入だけでみると、そういうことなんですね。
要はいかに自分がやれること、やりたいことを考えて生きて行くかっていう事なんです。で、会社にいても食えないのは同じなんだったら事務所やめて自分ができることをやって生きてくのもいいかなって。
VATE:そうですね。でも当初は3年はやめないつもりだったんですよね。
最初は「最低3年社会にもみくちゃにされないと」とかって先輩方は言ってましたけど、京都の友達は自らの失敗で収入が全てすっ飛ぶというような当たり前の現実を知ってましたから。そんなこと会社にいたら体験できないですよ。だからいいなあって思いました。
VATE:それで結局、どうされたんですか?会社を辞められたんですか?
たまってた仕事を片付けてから事務所をやめました。で、京都に戻り友達であるFHAMSのメンバーにはいりました。
VATE:福本さんがFHAMSに入ることでどんな事が考えられました?
僕がFHAMSに入って建築設計事務所で培ったことをみなで共有できたら、FHAMSの仕事の新たな可能性みたいなのもあるだろうって考えてました。僕は設計しかできないけど他の人は木工ができたり左官ができたりするので、それらが一つになると大きな力になるって思いました。