就任式

VATE:ひなやさんはどういう会社だったんですか?

 

当時のひなやは西陣の帯地メーカーとしての仕事のシェアが8割以上を占めていました。他にもインテリアや和装小物の企画・製造やサンムーンというブランドで、洋装や洋装小物の展開もしていました。

 

VATE:伊豆蔵さんはどんな仕事をされていたんですか?

 

入社後は何も指示がなかったんです。なにしろ専務ですから(笑)。誰も僕に指示をしない。唯一の上司、社長である父も何も言いませんでした。「なんか試されてるなあ。」と思ってましたね。なので1ヶ月くらいは、毎日あちこちの部署を見て回りながら、いろいろ質問などをしていましたね。

 

VATE:しかし、小さい頃からずっと見てこられたわけですから、

質問することも限られてくるんではないですか?

 

主だったスタッフのことは当然知ってましたし、社内の仕事も大体わかっていました。けれど、経営という視点で会社をみた時、全体業務の把握は不十分でした。それで、いろんな現場にいって、自分で見たり、聞いたりしながら情報をインプットしていきました。

 

VATE:社長であるお父様はどんな方なんですか?

 

父は一言でいうと芸術家肌の人ですね。企業のトップ然とした人ではないです。染織を駆使して、自由な発想でモノをつくることが好きで仕方ない人なんです。和装が順調な頃から、インテリアや洋装など、新規の分野に挑戦をしたのは、会社を大きくしようとかは二の次で、自社の染織のもつ可能性を追求してきた結果みたいな感じでした。でも、正直いって、会社の中で仕事が散らばっているなという感じは否めない(笑)。

 

VATE:散らばっている?

 

全然、組織的ではないんです。そういう風にはできないんですよ、父の性格からいって。だから僕が専務として入社したからと言って、体系的に踏襲できる仕事なんて何ひとつなかった、というのが現実でしょうね。

 

VATE:お父様の影響はありましたか。

 

僕が染織という仕事に興味をもったのは、父の影響が一番強いと思ってるんです。楽しそうに仕事をしているスタッフの先頭には、いつも、父の姿がありましたから。

 

VATE:現場を見てまわられて、何か感じたことは?

 

現場をみてまわって僕がひっかかったのは、洋装部門の企画を東京にある別会社(関係会社)が主体になって行っていた事です。京都のスタッフがつくる生地を東京でデザインをする、という体制でした。それがまずおかしいな、と。せっかく生地から作れる環境にあるのに、全然それを生かせとらんじゃないか、と。新任専務として、まずはそこから仕事を始めました。ガツンと、ね。