染料

「はやく家業のなかで実践してみたかった」

VATE:逞しいですねぇ。フランスではどんなことが楽しかったですか?

 

一番の楽しみは、バカンスに一人旅をすることでした。フランス国内やイタリア、スペイン、ポーランド、オーストリア、オランダなどに行きました。行き先だけ決めて、あとは出たとこ勝負、みたいな旅をするのが好きでしたね。行く先々で、いろんな人との出会いや交流があって、楽しかったですね。

 

VATE:伊豆蔵さんは日本でも西陣という場所で育たれた中での留学でしたから、

他の留学生とは違ったアプローチで勉強できたのではないですか?

 

そうですね。日本を発つ時、帯地や着尺などをたくさん持って行きました。向こうで知り合った人に見せてあげようと思ったんです。どんなリアクションがあるかなって。

実際、友達なんかにはよく見せていました。帯地は特に、珍しがられましたよ。服地っぽくないものばかりを選んで持っていってましたから、「これ、面白い!」って言ってましたね。

 

VATE:ではその帯地を使って何か作られたわけですか?

 

卒業制作では帯地をつかって作品をつくろう、と決めてました。服地ではないので衣服にするのは難しいのですが、敢えてそれに挑戦してやろう、と。

 

VATE:うまくいったんですか?

 

でも、それは叶わなかったんです。途中、学校側からストップがかかったんです。ESMODは、パリでは有名な学校で卒コレにはプレスが多数集まるんです。スポンサーが複数いて、その中には生地屋さんもあって。それで途中から急遽、ほんとに急遽ですよ、この中から生地を選べって言われたんです。それはその生地屋さんの見本帳でね。僕はそれに憤りを感じて学校に行かなくなりました。

 

VATE:それでどうされたんですか?

 

結局、卒業の2週間前に辞めたんです。親には辞めてしまってから連絡しました。せっかく3年間支えてもらっていたのに、身勝手な話ですよね…。でも、当時の僕の心境としては、そこはちょっと曲げられなかったんですよ。

 

VATE:え~!もったいない…。それで帰国後はどうされたんですか?

 

家業である株式会社ひなやに入社をしました。まわりの人には「一度、会社勤めをした方がいいんじゃない?」と言われましたが、そのつもりは全くなかったですね。家業である染織の可能性や幅を広げるために3年間自分なりに被服を学んだ訳ですから、はやくそれを実践してみたかったんです。

 

VATE:いよいよ仕事として、今までの成果を試すことになったわけですね。

 

ええ、そうです。23歳の夏、いきなり役付での入社でした。専務取締役(笑)です。今もそれは変わりません。