VATE:でもそれからバンドを組まれるに至っては何かあったわけですよね。
スタジオの仕事や、バックの仕事を辞められたのは何故なんですか?
当時、フュージョンが盛り上がった時があって、その時にアレンジャーがおこした譜面に「ラリー・カールトン風に」って書いてあった。それを見た時になんか「あれっ?」って。予算があったら本当はラリー・カールトンに弾いてもらいたいんや、と。自分じゃなくて、ラリー・カールトン。予算がないから、自分が変わりにラリー・カールトン風に弾かされる。それに何の意味があるんかなぁと。それで疑問を感じるようになって、でもよく考えてみたら、けっこう「~~風に。」っていうのは多かったわけ。でもそれまでは「ハイハイ」言いながらやってた。それが格好いいと思ってたからね。
VATE:なるほど。ではそれですぐに辞められたわけですか?
それで辞めたってわけじゃないけど、それが「あれっ?」て思うきっかけではあったかな。考えて見ると一回も「あんた風に弾いてくれ」って言われた事がなかったし、それに振り返って考えてみると自分風っていうのがよくわからない。だから、今度はそれを見つけるのが自分の音楽人生やな、と。
それには自分のバンドもやる必要があるし、自分の音楽を追究する必要があった。弾き方のベーシックにしてるのはブルースだったから、ブルースをもう一回一からやり直そうと。ビートルズが好きだったけど、自分の弾き方はブルースとファンク。それにジャズがミックスされてるようなのが、自分のスタイルだった。
VATE:でもそれには収入のよい仕事を辞めなければならなかったんですよね?
そりゃ、金は儲かるかもわからんけど、おもろないよ。
VATE:それでどうされたんですか?
その頃は関西ですごくブルースが盛り上がってた時期でね。自分は東京と関西を行ったり来たりしてたから、そういうのは気付いてた。ウェストロードとかサウストゥサウスとか憂歌団とか。まぁ、だから自分は遅れをとったわけ。自分はミュージシャンというよりはレコーディングの職人みたいな事で、バッキング名人みたいになってたから、そういうブルースで盛り上がってるヤツを見て「えらいこっちゃ。」と思ったわけやね。
VATE:そんなに盛り上がってたんですか。
そりゃもう京都に戻ってきてビックリ。ブルースバンドが沢山あってすごく盛り上がってた。
VATE:その時は西野さんはブルースはどうだったんですか?
その時にはもう大好きになってた。B.B.KINGとかT-Bone Walkerとか。この二人はいまでも好き。いまだにそんな風に弾けないけどね。