VATE:なるほど。ちょっと話を戻します。
駐留軍のバンドなどに行かれてた当時っていうのは自分よりギターの上手い人が沢山いたわけですよね?
もちろんそう。俺なんてドヘタクソ。
VATE:ではうまい人に教わったりされてたんですか。
いや、人に教えてもらった事なんかないね。負けん気だけは強かったから、技を盗んだり、自分で研究したり。だから今の自分の奏法っていうのは自分で編み出したモノ。教則本もビデオもないし、だいいちレコードも入ってきてないからね。まぁ米軍基地内は短波とか入ってきたから、聞く機会は多かったけど。
VATE:でも教則本がないのに勉強するのって大変な事ですよね。
今から考えたら大変やけどその当時はそれが当たり前だから。自分だけが無いなら別だけど、日本中みんな無いから。自分でレコードを調達して、耳で聞いて、自分で解釈するしかなかった。
VATE:で、米軍に行った後はどうだったんですか?
東京でスタジオワークの仕事をするようになって、スタジオワークって言っても今みたいに格好いいもんじゃなくて、何の権限もなくてね。自分が弾いたギターで違うギタリストの名前がクレジットされてたり、なんてのもしょっちゅう。あとは歌手のバックで演歌から歌謡曲から何でもやった。ツアーとかもやったしね。野口五郎やら小柳ルミ子やらユーミンやら、もうとにかく何でも。けっこう良い収入だったから、その当時は金遣いも荒かったような気がするな。
VATE:そういう仕事って自分の音楽性と合わないとか、そういう事って無いんですか?
そういうのは、割り切ってた。歌謡曲の人に音楽性なんてあるわけないし。でも、当時はどんな音楽でも出来るという事が格好いいと思ってたから。はきちがってたな。