VATE:その目標にはどう近付こうとされたんですか?
広告というよりマスコミという大きいカテゴリーで考えたんですね。マスコミに強いのは早稲田大学だから、その頃から早稲田は北極星みたいな感じで、合格を目指して勉強しました。
VATE:それで早稲田大学に入学されるわけですが、大学では将来に向けて活動されたんですか?
大学入っちゃうとね、遊んだりバイトしたり、バスケしたりみたいなことで、広告はおぼろげに記憶の底に沈んじゃったんです。
VATE:受験も大変でしたもんね。
そうなんですが、大学3年生の時に15号館という校舎に電通のクリエイティブ塾という学生向けの、今でいうインターンシップですね。広告クリエイティブを目指す人のインターン募集ポスターが貼ってあって。そうだ、これがやりたくて入ったんだと思い出したんです。それで3年生の秋から半年間、週に1回通って授業を受けました。現役のコピーライターとかCMプランナーの人から授業を受けていたら、もう完全にハマっちゃって。こんなに面白いことができる職業はやっぱり広告しかないと。
VATE:インターンシップの授業というのは、内容的にどんなものだったんですか。
コピー、CM、デザイン、ラジオCMの週とかって決まっていて、違う先生が毎回来て下さるんですけど、メールもない時代なんで電通にFAXを送るんですね。コピーを書きなさいと言われたら、書いてFAXで送って。サインペンのCMのコンテを書きなさいとか。書いたことはないけど真似事みたいなので、水曜に送って木金で先生が見てくれて、土曜日にプレゼンをしながらいろいろ言われるみたいなことを毎週繰り返すという感じでしたね。
VATE:広告と言ってもコピーライターやデザイナーなどいろんな職種があると思うんですけど、最初っからコピーライター志望だったんですか?
最初は映像の方に興味があったんです。当時はCM全盛期でタグボートというクリエイティブブティックがヒットCMを連発していたり、佐藤雅彦さんがちょっと前の世代ですけどいらっしゃったりとか。CMが広告の中での真ん中にドーンと君臨していたから、CMを作りたいなっていうのがありました。なので、就活でもCMプランナーになりたいですとか、博報堂に入った後の研修でもCMプランナー志望ですって言ってたんですけど、いざ配属されてみたらコピーライターで。なんかガーンみたいな。
VATE:なぜ(笑)
いや、なんか地味じゃないですか(笑)。CMの方がやっぱり華やかじゃないかなみたいなことで。配属先の局長はコピーライター出身で大御所の柴田さんっていう方だったんですが、コピーライターよりもCMプランナーになりたかったんですと言ったら「バカかお前は。コピーライターの方がモテるんだぞ。」って言われて。
VATE:それでどうされたんですか?
じゃあコピーライターで(笑)みたいな。
VATE:(笑)
でもコピーライターで本当に良かったと思うんですね。というのも、映像にしても結局は言葉から出来上がっていくから、今も半分くらいは映像の仕事を作っていますし、コピーライターはグラフィックも映像も両方にタッチできるけどプランナーは映像しか触れないというのもあるから、結果としては本当に良かったと思います。
VATE:電車で職業を決めて、そこから大学、インターンでそのまま博報堂に入られてと。決めてから何の惑いもなかったんですか。
そうですね。僕は迷うのとか、いろいろ選択肢を広げるのが好きじゃないタイプで。これと決めたらそれ以外は目に入らない状態にするみたいな性格なんでしょうね。だからあんまりこう、優柔不断みたいなことがなくて決めフェチっていうか決めたがりなんですね。