作品から

VATE:実際にNZでは逆の立場になられたわけですが、如何でしたか?

うまく現地の人々と交流し、なにかを得ることができたのでしょうか?

 

NZへ着いてからの最初の3ヶ月は、本当に地獄そのものでした。何かをしようにも、まずどこへいっていいのか分からない。そして、誰かにそのことを尋ねようにも、言葉が全く通じない。コミュニケーション能力で、3歳の子供にすら劣る自分と向き合い続けたこの時期は、一秒でも早く監獄の中から解き放たれたいと願う、囚人になったような気分でした。

 

VATE:それは厳しいですね。その後は?

 

三ヶ月を過ぎたあたりから、少しずつ相手の話す内容が理解できるようになってきて、苦痛からも徐々に開放されていきました。NZ最大の湖、タウポ湖の辺にあるツルランギという小さな町へ移ってからは、フライフィッシングという新たなコミュニケーションのツールにも出会い、日々の川原での活動を通し、そこに住む人々の生活の中にうまく溶け込むことができました。そして気づけば7ヶ月以上もの日々をその小さな町で暮らすことになりました。

 

VATE:NZの経験から学ばれたことってなんでしょう?

 

NZでの経験から学んだことは、言葉を介した会話が成立しないような状況においても、相手に対し、笑顔を通してこちらの誠意を伝えることで、異なる言語や文化の壁を越えて繋がりあうことができるということでした。また、郷に入れば郷に従えという心構えが、外国にでてその文化を学ぼうという際に、どれほど大切であるかということを学びました。

 

VATE:NZ滞在中は写真は撮られていたんですか?

 

NZ滞在中はほとんど写真を撮っていません。使い捨てカメラで釣り上げた魚の写真 を撮ったぐらいです。その代わりに、NZでの一年間はひたすらフライフィッシングに没頭しました。竿の振りすぎで手首を痛めリストバンドをしながらキャストしたこともありました。

 

VATE:帰国後はどうされたんですか?

 

帰国後は、大学に復学しました。復学して翌年の2月、ユダヤ人の強制収容所があったアウシュビッツへ行くのが目的で東欧への一人旅を行ったのですが、その際に大学時代の恩師、木村洋二教授の薦めで一眼レフカメラを購入したのが、その後、本格的に写真の世界にのめり込むきっかけになったんです。

 

VATE:なぜアウシュビッツなのですか?

 

アウシュビッツに行こうと思ったのは、大学のゼミで教授からナチスの強制収容所について学んだ際、非常に興味を持ったからです。そして、幾つかの本を読むうちに、どうしても自分の目でその場所を見てみたいと思い、アウシュビッツのあるポーランド行きを決意しました。