阪神大震災が私の人生を変える転機になった。

VATE:すぐに歌をやろう!というのではなく、働いて、修行して、となかなか堅実ですね。

 

音楽って、たった1人でやるものじゃないし、おもしろい音の渦の中で、色んなものを吸収して自分の力にしていくものだと思います。そういう環境がまったく揃ってなかったんですね。何もない中で、ジタバタするよりもその渦や時期を見極めていこうと思っていました。でも、働きながら歌をやる事はやっぱり大変でした。

 

VATE:自分のやりたい仕事を選ばず、歌をやりながら生きるという道を選択されたわけですが、

その期間いかがでしたか?

 

輸入商社での仕事も私は好きで、やりがいを感じてました。先輩も皆尊敬できる人ばかりで、ある種商社マン1人1人がそれぞれ独立しているような感じでしたね。 その中でバンドを組みレッスンに通ってたんですが、最初は何一つ上手くいかなかったですね(笑)。バンドは潰れるわ、レッスンは上手くいかないわで。受けたかったレッスンは人気で空きがなく受けられずじまいで、代わりに受けたクラシックの発声のレッスンでは、私のハスキーな声をどう扱うべきか理解できなくて、苛ついてました。

 

VATE:すぐに結果が出たわけではなかったんですね。

 

それでも少しづつ状況は好転していきました。

レッスンを受けていた学校の講師の先生方と親しくなってからは、そのライヴに引っ張り上げて頂いたり、歌う機会が増えていきました。受けたかったレッスンも受けられるようになり、取っ組み合う勢いで自分なりにやってました。本望でした。

 

VATE:会社の方は大丈夫だったんですか。

 

音楽に真剣になっていくのと同じペースで仕事の方も忙しくなり、両立がかなり難しくなってきていました。周りの先輩達も私の状況を知ってサポートしてくれていました。それでも追い付かなかった。明らかにチームの足を引っ張ってたんです。そして音楽もそれ以上を求めるなら、もっとどっぷり音楽に向き合う必要がありました。そして何よりもっと歌いたいと思いました。

その時に阪神大震災が起きたんです。私の人生を変える転機になりました。