白鳥の湖より

できるだけのことをし尽くしたなら、後は待つしかない。

VATE:アメリカで踊る、というのはどういうことでしょう?

 

アメリカでは日本の多くのカンパニーとは違い、団員に生活ができるだけの金額が保障されます。

プロ意識が芽生える反面、実際、とてもシビアな世界で、皆凌ぎ合ってクラスやオーディションを受けています。そういう切迫感や緊張感を肌で感じて、目が覚めたような思いでした。

 

VATE:ニューヨークではオーディションをいろいろ受けられたそうですが、結果はどうだったんですか?

 

いくつかのカンパニーからオファーがありましたが、その時点では契約に至りませんでした。ビザの問題と(最終的にはO-1ビザという特殊技能ビザを取得しました。)ポジションを得るためにはタイミングの問題がありました。

 

VATE:タイミング…ですか。

 

長く待てる状態にいればいいのですが、私の場合この一年内の結果によって、海外で踊るのか、日本で違うバレエ団を探すのか、それとも地元を拠点としていくのか、という選択をすべき時期にさしかかっていたので、一時期とても焦りました。でも自分ができるだけのことをし尽くしたなら、後は待つしかありませんでした。それに、結果どれほど待つことになったとしても、どうしても叶えたい夢なら仕方がないと思えるようになった頃、大きな波がやってきました。

 

VATE:いつになるともわからない契約を信じて待つというのは大変なことですね。

その後やってきた大きな波ってどんなものだったんですか?

 

私が帰国してから、突然、サイモン先生がニューヨークを離れ、ミルウォーキーバレエ団の芸術監督になり、一年後に私を団員として迎え入れる約束をしてくれました。その翌日には、ニューハンプシャーのバレエ団から連絡があり、急遽、向かうことになりました。そして翌年明け、母のバレエ研究所の25周年記念公演を終え、ようやくミルウォーキーを訪れた際、ずっと願い続けていたプリンシパルとしての契約書にサインをすることになりました。

サイモン先生との出逢いが、これほどまで大きく発展するとは思っていませんでしたが、先生のような芸術監督のもとで踊ることが夢でした。