音楽学校

VATE:本当に大きな災害でしたよね。

 

好きな街と景色がぼろぼろに崩れ、私自身の何かが砕け散った気がしました。その日から5日ほどして、気持ちも少し落ち着いた頃に、親友が勤務先の病院の仮眠室で被災し亡くなった、と友達から電話があった。彼女とは10日前に二人で会って飲んで、自分の夢とか将来についてたくさん語ったばかりでした。本当に悲しかった。その後何年か引きずりました。

 

VATE:とても悲しい出来事ですね。

 

その人の死で「やりたいことはいつでも出来る」と思うこと自体が間違いだということに気づいた。今やらなきゃ、明日死ぬかもしれない。いつでもなんて出来ない。私が本当にやりたいこと、本当に好きなことは何か。趣味で良い、と封印してきた音楽は本当に自分にとってそれでいいのか。1年かけて見つめ直しました。演劇やったり、ダンスをやったり。私を表現出来るものは何だろう、と。

 

VATE:そしてたどり着かれたわけですね。

 

そうです。音楽をもう一度やろう、と。自然に、何故か歌を選んでました。他のどの楽器でも無かった。歌いたい、と思ったのかなあ。それで、会社に行きながら、音楽学校に通い始めました。

 

VATE:仕事をこなしつつ学校に通われたんですね。

学校に通われて環境はがらっと変わったと思いますが、その辺りは如何でしたか?

 

そうですねー。変わったというより京都に知り合いが出来た。縁もゆかりも無い土地に来たので、これはめっちゃ大きかったです。京都がこういう音楽の盛んなトコだというのも学校に通って初めて知りました。あとは私の見た目が変わっていって会社の人が驚いてました。真っ青のメッシュで会社行ったりしてました(笑)。

 

VATE:会社にいきながら学校に行くというのは大変だったでしょう?

音楽の世界に戻ってこられて、その時音楽は奥本さんにとってどういうものに変化していましたか?

 

大変だということはあまり意識はしてなかったかな。楽しい方が強かった。毎日が新鮮だったです。その後、会社をやめるんですが、会社を辞めて音楽の世界に戻って来てからは、やっぱりここが自分の居場所だなあ、と。「そうそう、これこれ。」っていう感じでした。音楽自体が私にとって仕事であり、趣味であり、自分なんですよね。

 

VATE:会社を辞められたのはどうしてですか?反対とかなかったですか?

 

会社を辞めるにあたっては、何かが自分の中で吹っ切れた時があったんですね。動物的なカンみたいなものかな。よし、辞めよう、と。思い立ったが吉日で退職願出してから周りに事後報告したので、あれじゃ反対のしようが無いと思います(笑)。

 

VATE:でも生活の不安とかもあるでしょう?

 

生活の不安はこれまた何にも考えて無くて。幸い「分析」という「手に職」があったし、しばらくはそれをやりながらでいい。くらいに安易に思ってました。

 

VATE:じゃあ割とパッと会社を辞めるという決断をされたわけですね。

 

そうですね。