NY在住時

VATE:例えばどんなものが印象に残っていますか?

 

例えば広島湾はたくさん川が流れ込んで、デルタをつくっています。朝と晩、干潮になると沢山の人が川に潮干狩りをしにくるのです。どこからともなく大勢の人がやってきて、貝を拾っている。採っても採ってもまだまだ貝は出てきていて、よく無くならないなと不思議でした。

そして川に沿ってほったて小屋がたくさん建っていました。原爆で家を失った人たちが集まって住み着いたのですね。象徴的な風景でした。そして手や足を無くした傷痍兵が道に座ってお金を請っている風景もめずらしくありませんでした。

 

VATE:1970年の日本にそんな光景があったなんて想像できないです。僕はまだ生まれてもいませんから。

 

はじめて入った五右衛門風呂や銭湯、お好み焼き屋がいくつもいくつも入っている汚い2階建ての木造小屋「お好み焼きビレッジ」、広島大学の近くにあった市バスを改良したラーメン屋台…数えたらきりがありません。

原爆記念日によくテレビで見る「永遠の炎」は、高々と燃えていますね。それがなんと夜になると消されているのです。びっくりしました!「永遠」とは名前だけ?さすが昼間はわずかながらも火はついていましたが。

 

当時学生運動が活発で、赤軍派と中核派と機動隊がもみ合っていたのをよく目撃しました。すごく暴力的だったのがショックでした。 そんな中、英会話学校の教師として、フルタイムで働いていたわけです。日本人の友達も沢山できてとてもおもしろかったです。

日本に一歩足を踏み入れたときから、好きな国だと感じていました。

 

VATE:そんな英会話の先生が版画と出会われたきっかけってなんだったんでしょう?

 

英会話の生徒さんがたまたま徳光思刀先生を紹介してくれたのです。日本に来た年の秋から習い始めました。

徳光先生は小学校の先生をしていて、ちょっと俳優の笠智衆に似た感じで、厳格でした。二年間広島に住んだ後、京都に移住しましたが、引き続き月一回の割で習いに行っていました。当時、大阪から広島まで日中に船が出ていて、それに乗って行っていました。瀬戸内海の景色を眺めながら…。よかったですよ。

 

VATE:徳光先生に出会われたことによって木版画に魅せられたわけですか?

 

そうです。よく浮世絵に魅せられて日本にやってきたのではないかと聞かれるのですが、まったくそうではありません。

徳光先生との出会いが、版画との出会いでした。