今回は版画家で京都精華大学でも教鞭をとられているリチャード・スタイナーさんに長い人生を振り返りながら、お話を聞かせて頂きました。
VATE:スタイナーさんは学生だったころ、将来自分はどんな事がしたいとお考えでしたか?
写真家になりたいと思っていました。子供の時に、簡単なカメラを買ってもらってからすっかり写真に夢中で。ミシガン大学の学生になったのだけれど、やっぱりプロのカメラマンになりたくて中退してしまいました。
VATE:版画家ではなくて、フォトグラファーになろうと思われていたわけですか。
大学を中退されてから、フォトグラファーになるまではどのような道のりだったんですか?
大学生になって憧れのニコンを買って本格的に写真をとり始めたんですよ。
そんなときに写真好きの友達3人と一緒にフォトスタジオをつくろうということになって、会社を設立しました。
VATE:いきなり会社を?3人でひとつのプロジェクトにあたっていたのですか?
それぞれが得意の分野を受け持つのです。私はポートレートと女性ファッションを得意としていました。レコードのアルバムの写真なども撮っていました。
そのうち、ミシガン大学の考古学研究室から、エジプトの発掘作業の写真をとってくれないかという依頼があり、エジプトに行きました。
VATE:今度はエジプトに(笑)。
ええ、とても興味深い体験でしたよ。
VATE:帰国後はどうされたんでしょう?
帰国後、ミシガンにいては十分な仕事ができないと思い、ファッションのセンターであるニューヨークへ移りました。
当時ファッション・フォトの世界ではたいへん有名だった女性写真家、リリアン・バスマンのスタジオのアシスタントとなったのです。二年間、リリアンの下で色々なことを学んだ後、自分のスタジオを開設しました。名前はリチャード・シェークスピア・スタジオ(笑)。白黒、女性のファッション写真を専門とするスタジオでした。