photo by YOSHIDA YOKO

VATE:テレビ報道では満たされないものって何かあるんでしょうか?

 

ひとりひとりの視聴者と「インタラクティブ」(双方向)な感じがしないことですね。「視聴率」という数字でだいたいどれだけの数の人が番組をみたのかは分かるのですが、その人たちが「理解してくれたのか」「どう感じたのか」「なぜ笑ったのか」「なぜ泣いたのか」…は、どうしても分かりません。

 

VATE:つまり視聴者の生の表情が見えない、と。

 

そうです。中学生、高校生の頃にブラスバンドをしていたお話しをしましたが、私は楽器の演奏自体よりも、演奏会のマネジメントやステージの企画が好きでした。特に自分たちの企画した演奏会の当日、演奏中にステージ裏から客席を見るのが大好きでした。驚いたり、喜んだり、つまらなそうな観客の反応を、ドキドキしながらみていた時の緊張と興奮を、今でも思いだします。

 

VATE:その後の話を聞かせてください。

 

その後は希望がかなって広報局宣伝部に異動になりました。「取材する側」から「される側」に移りました。番組の広報・宣伝担当として、番組宣伝のための広告などの企画とプレス対応全般を担当しました。「進め!電波少年」「伊東家の食卓」「伝説の教師」「劇空間プロ野球」…担当番組に恵まれ、様々な経験ができました。

 

VATE:取材する側からされる側に立場が変わる事によって

どのような変化がおきましたか?

 

報道記者の時は、取材すること自体に必死になって、相手が公表できないはずの情報を「これでもか」と、引きだそうとしたこともありました。でも、逆の立場になると「出せない情報は、出せない!」ということがとてもよく理解できます。また「出せない!」といっている情報を必要とする相手の立場もよくわかるようになります。必然的に「Yes or No」ではなく、相手との「落としどころ」がわかってきます。

抽象的な表現ですが、「内角高めの胸元ギリギリの速球シュートで相手の反応を伺い、最後は外角に低めのスローボールで勝負」というような、良い意味での「したたかさ」と「幅」がでてきました。

 

VATE:広報というのはそもそもどういった仕事だとお考えですか。

 

反対する人も多いかもしれませんが、私は広報や宣伝というのは「補佐的」な仕事だと思っています。むしろ補佐役に徹するべきだと思います。番組のことを自分の子供のように思って、とにかく一生懸命にプッシュしてPRするやり方もあるのかもしれません。

しかし、どう考えても面白くない企画なのに、「何とか宣伝してくれ」と言わることがあります。私は「はいはい」と言いつつ無視します。番組自体がつまらなければ、どんなに広報・宣伝しても無理なものは無理です。

 

VATE:広報を成功させるためにはどうすればいいのでしょうか?

 

番組でいうと、他の番組にはない面白い部分をひとつでも見つけることですね。いかに「面白い部分」を「察知」するかにこだわります。そして、「面白い部分」に注目して、視聴者にとって「フック」(ひっかかり)になる表現や手段を考え、そのコミュニケーションに全力を注ぎます。全てのコミュニケーション(広告、パブリシティー)を、この「フック」の伝達に「集中」できれば、広報活動はもう成功です。