VATE:ブダガヤですか。
仏教徒である私にとってインド・ブダガヤは必ず一度は訪れてみたい所であり、その聖地のお寺の仏様を彫らせて頂く事ができる事はとても有り難く、私は「彫らせてください!」とすぐに答えたんです。
VATE:それはまたすごい出会いですね。
友人から電話をもらい、その理事の方とお会いすることがなければ、このすばらしい御縁に巡り会うことができませんでしたから。
VATE:しかしボランティアである事はネックにはなりませんでしたか?
またプレッシャーというものもあったと思います。
どんな心構えでそのご依頼に応えられたんでしょうか?
ボランティアという事はネックにはなりませんでした。確かに生活面ではいろいろと苦しい事もありましたが、私にとってお釈迦様の聖地に自分の彫った仏様がその地に残り、世界の方に手を合わせて祈って頂けるという事が何よりも幸せでした。それと、このお寺を建立するために至るまでの御縁にも心が打たれたからです。
VATE:お寺が建立に至るまでの経緯とはどんなものだったんでしょうか。
このお話は1981年から始まっています。滋賀県のお寺の内田卓也住職が27~30歳の3年間、インド・ブダガヤの日本寺に駐在僧として生活されていました。その3年の間、村の人達と交流を重ね、いろんな事をインドの人々に教えて頂いたそうです。そのお礼に自分の持っている私物を売り払い、そのお金で300人の村の人々にカリーを振る舞われました。
それから内田住職が日本に帰られて数十年後、インドから一本の電話があったのです。電話の主はその当時カリーを食べたという青年からでした。「土地を提供するから、インド人と日本人が交流できるお寺を建ててほしい」というものでした。その願いに6人の僧侶の方が立ち上がり、仏心寺が建立され、このプロジェクトが始まったというみなさんの気持ちのこもったプロセスがあったんです。
VATE:そのような経緯に心打たれたからこそ出来たことだったんですね。
ええ。でも何より「お釈迦様の聖地に自分の彫った仏様が渡る」という事、「ブダガヤには仏心寺の建立、お釈迦様の到着を楽しみにまってくださっている人がいる」事が私にボランティアとして彫らせていただくことにおいて、支えになりました。
VATE:仕事はスムーズに進みましたか?
それが、そうでもなかったんです。大きな本堂の中におかせていただくお釈迦様は大人一人分の等身大の大きさであり、彫らせていただく場所を確保することにいきなりつまづいてしまいました。