随心院にて

御縁というものが、どれほどに有り難いものか。

VATE:毎月一回お寺まで取りにいかれた時はどのようなことがあったんですか?

 

約1年にわたりお伺いさせて頂いたのですが、お会いするたびに私に食事を用意して頂き、ご住職とお話の場を頂いていました。その席では、ご住職のお母様に対する感謝の気持ちや切なる願い、ご住職の経験談などをお話くださいました。また、私がどのような気持ちで彫っているか、など尋ねられることもしばしばだったのですが、その中で最後の2ヵ月間、お代金をいただけなかった期間がありました。

 

VATE:えっそれはまたどうしてですか?

 

ご住職は「今のあなたにはお代金を支払うわけにはいかない。私がどのような気持ちで依頼したのかもう一度勉強してほしい。支払いはその後で。」とおっしゃいました。私にとっては正直、寝耳に水の話でした。私の中ではいつも努力し続けていたつもりだったのですが、今思うと、その頃は初めてのご依頼の完成間近ということもあり、気持ちが彫ることばかりに少し浮き足だっていたように思います。自分の気持ちだけを精一杯こめて彫る仏様ではなく、ご依頼主にとって大切な祈りの対象になる仏様を彫らなくてはご依頼の意味がなくなってしまう、ということに身をもって知ることができました。

 

VATE:しかし同時にすごく厳しい言葉ですね。

 

ご住職は意を決して私に厳しい言葉をかけていただいたのだと思います。今でもこの事を思い出すと、ただただ頭が下がる思いでいっぱいになります。ご依頼いただいた方が「お代金を支払いたくない」と思わせるようなことは今後決してしてはならないと自分の胸に誓いました。また御縁というものが、どれほどに有り難いものかという事にも気付かせて頂く事ができました。

 

VATE:その仏様が完成に近い頃に次のご依頼があったということですが。

 

そうなんです。ちょうどその仏様が完成間近の頃、友人から「今彫ってる仏様を見せてほしい」という連絡を受け、友人の勤め先である京都東山の知恩院へ仏様を見せに行きました。友人との話がはずんでいた時、一人のお坊さんが近づいて来られて、満面の笑みで「この仏様、あなたが彫ったの?」と声をかけて頂いたんです。

 

VATE:ふむふむ。それで?

 

私は「はい!そうです!」と答えました。その方はニコニコしながら「私達は今、お釈迦様が悟りをひらかれた聖地ブダガヤにお寺と宿坊を建てている所なんだけど、ご本尊をまだ考えてないんだよ。もしあなたさえよければ、そのお寺のご本尊を彫って頂けないかなぁ。この会は貧乏だからボランティアになるけどね。」と話しかけてくださいました。